そんなこと

罪悪感という最後の良心と共に。愚痴と正論の間を行き来しながら、自分を模索していくブログです。

無言であること

私は昔から、「だまっている」のが得意だった。

 

だまっている、という状態は、一見楽そうであるがそうでもない。

 

幼い頃から、周りに「余計なことをするな」「わがままを言うな」「黙っていろ」と言われ続けた。

大してしゃべったつもりもない。

周りがしーんとして誰もしゃべらないから意見を言ったら、「お前は黙れ」と大学生の時一喝された。

 

私はしゃべらないほうがいいんだ。

と思うようになった。

 

10歳の時渡米し、英語が全然わからなかった。必然的に私は黙るようになった。

そうすると、人が今度は逆のことを言ってくる。

「なぜそんなに静かなのか?」

英語で言うと

「Why are you so quiet?」

である。

 

14歳で帰国しても癖が抜けず、私は必要なことすら殆どしゃべらなかった。

 

日本人からも、「なぜしゃべらないのか」と訊かれ

「何をしゃべるの?」と訊き返したところ

「なんでもいいんだよ!」と言われた。

 

だけど、しゃべるのは美徳だと教わっていないので、今更しゃべれない。

 

社会人になってだいぶ経ったが、極力しゃべらないようにしていた。

自分の声に自信がなかった。女性にしてはあまりにも低いからだ。

大きな声も出ず、昔は吃音症もあり、かつぜつも悪い。

 

私は今フリーランスとして、普段は在宅でひとりで仕事をし

週に二回派遣に行く。

 

久々に、「言いたいことがあっても黙っている」状況が発生した。

 

さすがに30代にもなると、「言いたいこと」がある。それは仕事のことでである。

だけど、周りが途切れなくしゃべるので、私はずっと黙っていた。

 

言いたいことがあっても黙っているというのはストレスがたまる。

 

ここに派遣される時、「意見をたくさん言ってくれる人がいい」という条件が出されていたが、意見を言っても否定される。

そして私は言わんこっちゃないという諦めと、怒りの中で黙るのだ。

 

要に、人生はこの繰り返しだ。

 

人は自分に心地よい言葉しか聴きたがらない。

 

だから矛盾した言葉を言い続ける。

 

結論から言えば、人の言ってることに従う必要などなかったのだ。

 

 

正社員の時も、会議に駆り出されても黙っているしかない時があった。

私は転職を繰り返していたが、思ったより極端にその会社がレベルが低かったからである。

私は、頭ごなしに全部を否定するわけにもいかず、うつむいて泡を吹きそうになっていた。

初めて、会議で体調が悪くなった。

 

そこから、本格的にIBS過敏性腸症候群)を発動し、

心療内科で薬を出してもらったが、これが眠くなる薬で仕事にならない。

その会社にいる間はその病気をひっぱり続け、副作用の無い漢方薬に切り替えたが、これが月額一万するので高い。

 

だんだんと、私は自問自答するようになっていた。

 

私には会社員は向いていない。このままだと腸と私が壊れてしまうだろう。

療養の意味も込めて、私はきっぱりと、フリーランスになると言いきった。

すぐに開業届も出した。

 

そうしたらほどなくして、IBSはほぼ治った。

 

 

しゃべりたいのにしゃべれない状況が続くというのは思ったよりストレスになるものだ。

 

しゃべらないと決め込む、しゃべらない自分に自信を持つことが大事だと思う。

しゃべれというのではない。口は災いの元だからだ。

 

 

だから私はしゃべらない。