そんなこと

罪悪感という最後の良心と共に。愚痴と正論の間を行き来しながら、自分を模索していくブログです。

鈍感な人とそうでもない人の違い

私には妹がいる。
ふたりいるのだが、片方が、同じ遺伝子とは思えないくらい性格が違うので、彼女との比較で語りたいと思う。

まあ遺伝子が全く同じなのは、たしか一卵性双生児だけだったと思う。
二卵の時点で普通に違う遺伝子の兄弟となる。

妹は生まれた時から鈍感で、
私は、物ごころついた時から、他人との摩擦に苦しんできた。

わずか、4歳で日記を書き始めた。その日記にはひたすら以下のような言葉が並んでいたのをはっきり覚えている。

なぜ私は周りに迷惑ばかりをかけているのだろう。
困った。困った。困った。

母親にもそれは伝わっていたようだが、
同情や共感は得られなかったようだ。
彼女は鈍感な類の人間だったらしい。

鈍感の反対がもし「繊細」であれば、私は非常に繊細だったと言える。
知らない人の中に放り込まれるのは何よりも恐怖だった。
周りの空気が凍りつくような錯覚に陥ったのを覚えている。
自分が描いている絵に何かを勝手に描き足されることが多く、
幼稚園の時はそれだけでぎゃーぎゃー泣いた。

幼稚園の年長組に入ったあたりから、私はわずか5歳にして
「あきらめる」
ということを学んだ。

私は自分の意志を、わがままを、言葉で伝え納得してもらうことは出来なかったからだ。
自我を通すのをあきらめた。
無口になった。
本当にしゃべらなかったし、しゃべる必要がある時も、声が小さかった。

それがおよそ20歳くらいまで続いたのだった。

世の中には鈍感な人と繊細な人がいると思う。
中間もいるかもしれないが、大体はこの二極だ。
繊細な人はほんのちょっとしたことで傷つき、しかも痛みに敏感だ。
臆病で安定した人生を送りたがるか、ひたすら傷つき続ける。

鈍感な人はぱっと見が非常に幸せそうに見える。
おそらく自分が幸せか不幸か考えることもないくらい鈍感だろう。
病気になってもめったに寝込まない(気づかないから)ので、
死ぬ時はあっさりと死ぬ。
心療内科の知識もないので、鬱になったら速攻で死に急ぐだろう。

どちらかが良いなどというつもりはない。そんな簡単な問題ではないから。

ただ、会社員に向いているのは圧倒的に後者の鈍感なほうだ。
人間関係なんかでざくざく傷ついていたら、会社勤めは務まらない。
私は鈍感な人はぜひ会社に残って欲しいと思う。

フリーランスをやっている人の大半は結構繊細だ。
フリーランスになってわかった。集まりにいくと、繊細な人が集まっている。
その場の空気は実に優しい。
とても居心地がいい。
他人を傷つけないように、余計なことはしゃべらないように、
みんな、適度に距離を置いて話している。

我々、繊細な人間にとって必要なのは、鈍感になることではないと思っている。
自分を大事にすることだ。
自分がはみ出し者であると感じても、それは別に悪いことではない。
自分の意見に自信を持とう。
鈍感な人は死ぬまで鈍感だ。繊細な人がやりこめたところで倒れはしない。
言いたいことを言って良いのだ。

幼いころと言うのは、動物のように、鈍感な人が上から圧力をかけてくる、弱肉強食の世界だ。
しかしそれでは、足りないものが必ず出てくる。
その時、繊細な人達がどうしても必要になる。
その時、心無い人がろくでもないことをあなたにいうかもしれない。

けど別に、そこで子供の時のように悲しまなくて良い。
堂々と反論していい。
あなたは無礼な人だと。
あなたは人の気持ちがわかっていない。尊敬の念がないなら協力はしない、と軽く脅してやればいい。

勝つとか負けるの問題ではない、
自分自身を大事にしてくれ。
それが大人になるってことだと思う。