「子供が好き」の真意
うちの母親は子供が大好きである。
保育士の資格をとって、アルバイトもしていた。
くわえて小動物も大好きだ。ハムスターをなぜかひろってきて、大事に育てていた。今はメダカを育てている。
母親は、私が幼稚園生になるまではとても優しかった。
甘やかしてくれて、本を読んでくれて、子守唄を歌ってくれて、天使のようだと思っていたし、天使なのかと思っていた、と口に出して言ったこともある。
だが、母親は私が小学生になり、さらに初経を迎え思春期に入るとどんどん冷たくなっていく。
うちの母親は、ひとりの人間は好きじゃないんだなと思った。
未だにそこの境目の対応の冷たさを思い出すと、裏切られたという冷たい怒りと悲しみがこみ上げる。
あの人は、思春期の子供を育てることには全く興味がなかった。
自分の「子供」を育てるということにはあまり興味がないし、おそらく面倒だ、と思っていると思う。
つまり、彼女の中では自分の子供=子供なのではなく
子供=幼くて自分がいないと生きていけない存在
なのだろう。
彼女は私のことが好きなのではない。
幼くて自分がコントロールできる、本当に小さい子供が好きなのだ。
それに気付き始めて、私は親を嫌いになる。そして、自立することに疑問を抱かなくなる。実家に帰る必要なんか特にないなと感じるようになる。実家を出た時に、寂しさを感じないくらいだった。
未だに親離れが出来ていないのかもしれない。
けど、「人間」を育てられない自分の母親には未だに強烈な怒りを感じる。
人間としては、彼女からは何も学べなかった。
ひとつだけ、学んだことがあるとするならば、
彼女のような母親になってはいけない、ということだ。
毎年、母の日に宅配便で花を届ける。
去年の母親の言葉
「お母さんでいられるようにがんばる」
が印象的だった。
きっと彼女も、自分が母親であるのか、わからないのだろう。
彼女は世間の理想的な母親という型に自分をはめようとして昔から必死だ。
子供しか、自分のことを母親とは呼んでくれない。
けど、おそらく母親というのはそういうものではない。
言っても、理解してもらえる自信がないけれど。
親というのは親でなければならない。未来を託すのであれば、指針を示さなければならない。彼女には、それは出来ない。
ちなみに彼女は、恋人としても、妻としても、父親からクレームを受けている。
ちょっと心配にはなるね。
がんばってるんだけどね。