そんなこと

罪悪感という最後の良心と共に。愚痴と正論の間を行き来しながら、自分を模索していくブログです。

「ガンツ」を7巻まで読んで思ったこと

この漫画は、猟奇なSF、アクションをメインとした作品ではあるが、人間関係が非常に興味深い。

あれだけ肉片を撒き散らし、残酷な方法で人が死ぬところを散々見た後で、残った感想はそれだった。

人間関係。

キャラクターの設定も良いのだが、今時キャラクターはどんな作品でも設定に凝って当たり前である。

だが、そういう安っぽい感じはしない。

ごく普通の、いやそれ以下の、15歳の少年の、ダメなところがくっきりと見える、率直な描写が特徴だ。

特にモノローグはすごい。

言葉遣いからもわかるが正直言って、馬鹿だとしか言いようがない。でも15の男性なんてこんなものだろう。

主人公はちょっと顔がかわいいだけの、ごくありふれた男子なのである。

そして、率直すぎる彼の感情のモノローグは、分かりやすいところがいい。

こんなところで、詩人のようなセリフを紡がれても反応に困るだけだ。

 

主人公に対する、「加藤」という男が出てくる。同学年だが、全く違うキャラクターである。でもライバルではない。ライバルという立ち位置にいるにもかかわらず、彼は敵ではないし、明確に競争相手ともされていない。それどころか、加藤は主人公のことを慕い、

「計ちゃんみたいになりたいんだ!」

と言う。

 

加藤は完璧な男だ。

成績が悪いという設定になっているが、不良だらけの学校にいて、めちゃくちゃ喧嘩に強い。誰を倒すべきかわかっており、最初からボスを倒しに行く。そして、喧嘩が始まる前に片付けてしまう。

そして趣味の将棋に戻るのである。

将棋。この年齢で将棋である。

 

主人公は年齢相応の性欲を持て余しており、女は基本的に性の対象である。だが、加藤にはそう言った発想は見られない。

もはやおじいちゃんか聖人である。

だが、加藤は人を愛す。どこまでも、とことん、よく知らない人でも、人は基本的に愛せる男である。

 

完璧すぎて、主人公が完全に負けている。

主人公が加藤であると、昔ながらの漫画としては成り立つかもしれないが、今時の作品としてはパンチに欠けてしまう。

 

主人公は、初めて見た「岸本」という女子の裸で大興奮し、そのまま惚れてしまう。しかしやはり、主人公は馬鹿である。彼女がなぜ自殺しようとしていたのかも、ちゃんと確認しない。彼は彼女の身体のことばかり考え、突然家にやってきて泊めてくれと言われた彼女と、ヤることしか考えていない。

よく知らない女性に平気で手を出そうとして、岸本の真実のひとつをやっと知ることになる。だがその時も彼女の気持ちを理解しようとはしていない。

 

岸本は加藤のことが好きである。

それは当然だ。加藤は聖人のように完璧な男で、裸の岸本のことを気遣い、紳士的に振る舞っていた。身体をジロジロ眺めたり、ひたすら触ろうとしていた主人公とは真逆である。

だが、なぜか、主人公はそれが理解できない。馬鹿だからである。ただ抱きたいがゆえに、彼女に自分のいいところアピールをする。だがもちろん、彼女にとっての主人公は、直接優しく紳士的にしてくれた、加藤を超えることはできない。しかも、加藤は正攻法で岸本と仲良くなろうとしていて、ほぼ相思相愛である。恋愛の正解を目の前で見せられているにもかかわらず、主人公はそれの真似ができないのである。

 

この漫画は、そんな出来の悪い主人公「玄野」がいろいろなものを諦めて、開き直るところから、様々な突飛な発想、行動力を導き出すという、かなりやさぐれたテーマになっている。

だがそこに読者は共感するのではないかと思う。

 

加藤のような男になれるわけがない。15ではなかなか難しい。なんであいつばかりモテるのか、これは男性によくある葛藤である。しかも本当に出来の良い男は出来の悪い男をいじめたり食いモンにしたり見下したりしない。それどころか、尊敬しているとまで言ってくる。何もかもが負けている。開き直って別の女に行っても当然だ。しかもそこに愛情は一切ない。

 

こんなダメダメな主人公が、ただその劣等感から繰り出す強烈な戦闘力を我々は目の当たりにして、どこまで彼は行けるのだろうか?どこまで堕ちる、どこまで残酷になれる?と見守りたくなる。

それがガンツの魅力だなと感じた。