そんなこと

罪悪感という最後の良心と共に。愚痴と正論の間を行き来しながら、自分を模索していくブログです。

婚姻制度の意図に関して思ったこと

人間の婚姻制度はそもそも自然の摂理にはのっとっていない、と、とある芸能人が言っていました。そもそも無理のある制度だと。

私もそこは理解できます。

男性の本能で言えば、不特定多数の女性を孕まそうとするのが自然でしょう。

ではなぜ、はるか昔から婚姻制度は主に、一人の女性につき一人の男性で、離婚をするにはお互いの同意がなければ裁判になってしまうのか?

 

これについて自分独自の理由を思いついたのですが、多分正解ではないかと思っています。人間が婚姻制度を法律で設けているのは、

ずばり、人類が存続するためです。

つまり婚姻制度がなければ人類は崩壊するでしょう。絶滅の可能性もあります。

なぜか?

それは、人間が非常に未熟な状態で産まれてくるからです。

人類が知能のある生き物である限り、犬猫のように産まれたまま放置し、路上で死んでいってもかまわない、とすることは困難でしょう(我々が知能を捨てて、動物に成り下がるのであれば別ですが)。

未熟な状態で産まれてくる人間は、大人の保護を必要とします。

授乳も含め、主に女性が担当することになるでしょう。

ここまでは良いです。

ですが、ぶっちゃけ乳飲み子のシングルマザーというのはかなり過酷であり、誰かが補助をしなければ基本は成り立たないと思われます。

そこで、婚姻制度が必要となってきます。

男性は子供を産む機能は備わっていないので、その代わりに、子供を育てる女性を保護し補助しなさい、という制度だと思われます。

そのために、結婚後簡単に浮気をして女性を捨てようとすることは違法であり恥ずべきことだと、世間一般には刷り込まれています。

刷り込まれてはいますが、嘘ではありません。なぜなら、乳飲み子をかかえた女性を捨てるということは、人類崩壊の危機をスタートさせたも同然だからです。

周りにしてみれば、我々を殺す気か!ということです。

 

私は女性なので、男性の欲を抑える裏側でどんな苦労があるのかは推してはかるしかありませんが、結婚というのは人類存続のためにあるものです。

無理に結婚をすることはありません。責任を負うのが嫌なら、あやまちを冒しそうであれば、結婚という制度にうかつに手を出さない方が良いでしょう。