そんなこと

罪悪感という最後の良心と共に。愚痴と正論の間を行き来しながら、自分を模索していくブログです。

君は、目に映らないものを信じられるか。

会社のクリエイター気質の50代のおじさんが辞めることになった。今日が最後だったので、お話をした。

私はとてもエモくて切ない気分になった。

この会社で、真のクリエイター気質を発揮するのは、もしかしたら私が最後になってしまうかもしれない。

エンジニアやフロントエンドエンジニアは、決して美意識が無いわけではない。でも、クリエイター気質で「いいひと」であるデザイナーを食い散らかそうと常に必死だ。

自分の味方につけてやろう、自分の思い通りに操ってやろう。そんな魂胆が見える。男性に関しては、女性の私を支配しようとしている感じすらして、仲良くしたいと思えない。

おじさんはいくつか大事なことを教えてくれた。

「私はもう50代だ。

でも、きちんとポートフォリオをつくったり、世の中に発表すれば、必ず誰かが拾ってくれる。

だからあきらめず、がんばって。ここは辞めたほうがいい」

彼は最後まで戦い抜いた。

嫌で嫌で、転職活動しながらやってたらしい。家族がいる彼は、家族にそんなことを相談するわけにもいかなかった。本当にかわいそうだと思う。でも大事なのは、そこではない。やはり結果だ。

結果的に彼は、ここから旅立つことに成功したのである。

ショーシャンクの空に。のように、彼は脱獄に成功した。

ギリギリまで、上司のために働いて、でも報われず、絶望した中から、あの泥沼から這い上がったのだ。

こんな素敵なドラマは、テレビでは見ることすらかなわない。

 

デザイナーは総じておとなしい。

私なんかは、だいぶきつい性格になったほうだ。昔は、絵を描くのが好きなおとなしい子供だった。

でもそれだけではやっていけない日が必ず来る。

自分の中の、優しい美しい世界を大事にしている「女の子」を殺さず、守り抜くために、別の私が立ち上がる。スタンドのように。前線で歯を食いしばって、血だらけになりながらディレクターやエンジニアやクライアントと戦い続ける私が必要なのだ。

世界は必ず開ける。私はひとりじゃない。私が分裂してるだけでも、同じ思いをしている人を知っている。行ける。まだ生きられる。

そんなことを思って、私は胸がいっぱいになった。