そんなこと

罪悪感という最後の良心と共に。愚痴と正論の間を行き来しながら、自分を模索していくブログです。

なぜ「言葉」で口説く必要があるのか

昔よく20代の若い頃とか、

普通に会話してた人が、一緒に写真を撮るってなった時にいきなり肩を抱いてきたりとか、

美容師が身体くっつけてきたりとか、美容師に首筋なでられたりとかしてた。

さして仲良くなってない男性にそういうことされると女性は正直以下のことしか思わない。

 

あ、こいつ気持ち悪い。

あ、こいつまともに口説く気ねぇのにやりたいのか。身体目的か。

 

男性は愛情と性欲が混同しているので、男性流に言えば、「身体に触れれば女は口説き落とせる」と思っているのだろう。

 

正直女性の口説き方、って、ちゃんと学習したほうがいいんじゃないだろうか?

必須科目に入れてもいいんじゃないだろうか?

 

自己中だし、いくらなんでも自信過剰すぎる。

先ほど挙げた例は殆ど痴漢みたいなものだが

痴漢もそうだ。やけに近よってくる男がいたから車両を変えて振り返ったら、案の定こっちを見ていた。しかも「なんで離れちゃったの」という顔だ。私が彼のことを好きだと思っているんだろう。そういう思いこみがなければ本来女性の身体に触れることは考えられないはずだ。犯罪だからだ。

 

残念だけれど、女性はそういう得体のしれない男とは触れ合わないように本能的に教え込まれている。本能が拒否をする。なぜなら、得体のしれない男の子供をはらんでしまってひとりにされてひとりで育てるのが恐ろしいからだ。それから例え結婚できても得体のしれない男がちゃんと面倒見てくれるか、それだけの財力を持っているかもわからない。

そもそもうまくやっていけるかどうかも前提にある。

我々は男性ほど動物的に出来ていない。

人間は高等知能を持った生物で、学校へ行かせてやらにゃならない。

そしてそうやって大切に育てられたはずの男があなたなのだ。

 

少子化の原点を探れば色々なことが掘り起こせるだろう。女は我慢しなくなった。男性は相変わらず口説くのが下手。下手だからやる気が出ず、勇気も出ない。だったら、まず口説き方をテンプレでもいいから教えるべきなんじゃないだろうか。

 

信頼に値する男はたくさんいると思うが、外見だけでは判断が出来ない。言葉を使おう。もっと上手に。たくさんの単語を覚えて。たくさんの言い回しを使って。色んな本を読んで、質の高いジョークに触れて。女性は言葉だけで喜ばすことができる。ものすごい簡単なことだし、お金もかからない。変なプレゼントを買ったり、無駄に高いディナーなんかおごらなくても充分口説ける。

 

ということを言いたかった。

「運命の人」という言い方をやめろ

意外と男性に多い「運命の人」と言いたがる人。

どうせ元彼も次の彼女に言っているに違いない。

運命の人が複数いてどうすんだよ。

 

ここにあなたの大好きなA子さんがいます。

そして大してなんとも思ってない、B子とC子がいます。

 

B子が、「私はあなたを運命の人だと思ってる」と言ってきました。

占い師がやってきて、「あなたの運命の人はC子さんです」と言ってきました。

A子さんは何もいわずぼんやりしています。

 

あなたは誰を選ぶんですか?

A子じゃないんですか??

 

「運命の人」というのは結果論だと思いませんか?

夫婦から「運命の人」なんて聞いたことないですよ、私は。

最近思う、「好きな人」とはどうあるべきなのか

・「良い人だから、付き合いなよ」というアドバイスが腑に落ちない

良い人=好きな人ではない。勧められても、ふにおちない場合は付き合わないほうが良いです。好きかどうかわからない時、あまり他人のアドバイスを宛てにするのはやめましょう。ゴシップがあれば満足な連中です。

優しくされた時にふと「気持ち悪い。下心があるんじゃないか」と感じることがあると思います(女性は特に)。それは好きではないということです。

「嬉しい!お返しをしたい!」と本気で思えたら、本当に好きだと思います。

 

・嫉妬させようとしてくる人

君が振り向かないのなら、他の女の子と仲の良いところを見せてやる、という男子が私の周りには多いです。これもNGです。ここで「ありえん、気持ち悪い、バカだな」のどれかを感じたらやめといたほうが良いです。他のところが好きでも。

 

・他人が「あいつ○○なところがダメだよね」と言ってても、そこが好きで許せる

これは本物ですね。「あいつほんとやる気ないな」「気が弱すぎる」とか言われてても「そこがかわいい!愛せる!」と感じている時は、その気持ちを大事にしましょう。それが本当に好きってことです。

 

・真剣にあきらめずに話し合いをしようと思えるか

問題が起こった時に、しぶとく、あきらめずに、説得をしようと、時間をかけてあげようと思えるかどうか、これは男女問わず愛情のバロメーターとなります。

こいつ何言っても無駄だ、と思ったらお別れです。手を離したということです。諦めたということです。話し合いが出来ないのに付き合い続けて結婚とか絶対ダメです。

 

・相手が自分を好きかどうかはさして問題ではない

相手が機嫌悪くて相手してくれないだけで怒りを感じるのであればまだその愛は未熟といえます。ストーカーになれというのではありません。相手の機嫌を尊重して、またあとで話しかけようと思えるかどうかです。相手に好かれたいという気持ちではなく、相手を大事にできるかどうかで判断しましょう。

 

・相手が裏切るかどうか不安にすらならない

相手が先に裏切るのではないか?自分が損をするのでは?と思っているうちはまだお付き合いしないほうが良いでしょう。あまりにも愛情が弱いです。たまにこれを口に出す異常な弱者がいますが、恋愛をする資格は無さそうです。

それよりも、素直に好きを伝えたほうが何倍も効果的でしょう。

また、その時それを利用してわがままし放題みたいな相手は、どこかで見切りをつける覚悟も愛情です。

 

・この人と「一緒に歩もう」と思えるか

同じペースで並んで歩こうと思えるかどうか。

相手にリードして欲しいという関係では向こうが疲れ

相手についてきてもらいたいと思えば自分が疲れます

横を見て同じペースで歩こうと思えたら、それが愛情だと思われます。

私が弱い人が好きな理由

私は弱い人が結構好きである。

 

それは男性に対しても同じだ。

というか、男性は弱いほうが良い。

 

弱音を吐いたり、自分に自信が無かったり、でも謙虚であろうとする男性が好みだと思う。

 

壁ドンしたら女が惚れるだろうと思いあがっているような男は大嫌いだ。

それから女を「お前」と呼ぶ無礼な男も。

 

男は弱くていい。

 

理由は色々考えた。

自分を立ててくれるから、女としてのプライドが保てるからかもしれない。

 

けどひとつだけ、大事な理由がある。

 

私は弱い人にしか優しくなれないのだ。

「ぼくにはできないから」とおとなしくしているような人には、優しくできるし、励ますこともできる。

傲慢なタイプには優しく出来ない。毎日めくじらたてて叱りつけることしかできない。

強がって無理して男のプライドを振りかざすタイプもそうだ。間違いを指摘し続けなければならない。

こういうタイプにまとわりつかれると、非常に疲れる。素直になれない。こちらも弱みをさらけだすことが出来なくなるからだ。

でも弱い人には私の良心と愛を最大限注ぐことができる。

 

だから、私は弱い人としか恋愛できないと思う。

 

恋愛にプライドは邪魔ものでしかない。

本当に好きな人には、弱さをさらけだしたほうが良いと思う。

そこを愛してもらえないなら、一生真実の愛は獲得できないだろう。

「子供が好き」の真意

うちの母親は子供が大好きである。

保育士の資格をとって、アルバイトもしていた。

 

くわえて小動物も大好きだ。ハムスターをなぜかひろってきて、大事に育てていた。今はメダカを育てている。

 

母親は、私が幼稚園生になるまではとても優しかった。

甘やかしてくれて、本を読んでくれて、子守唄を歌ってくれて、天使のようだと思っていたし、天使なのかと思っていた、と口に出して言ったこともある。

だが、母親は私が小学生になり、さらに初経を迎え思春期に入るとどんどん冷たくなっていく。

 

うちの母親は、ひとりの人間は好きじゃないんだなと思った。

 

未だにそこの境目の対応の冷たさを思い出すと、裏切られたという冷たい怒りと悲しみがこみ上げる。

 

あの人は、思春期の子供を育てることには全く興味がなかった。

自分の「子供」を育てるということにはあまり興味がないし、おそらく面倒だ、と思っていると思う。

つまり、彼女の中では自分の子供=子供なのではなく

子供=幼くて自分がいないと生きていけない存在

なのだろう。

 

彼女は私のことが好きなのではない。

幼くて自分がコントロールできる、本当に小さい子供が好きなのだ。

 

それに気付き始めて、私は親を嫌いになる。そして、自立することに疑問を抱かなくなる。実家に帰る必要なんか特にないなと感じるようになる。実家を出た時に、寂しさを感じないくらいだった。

 

未だに親離れが出来ていないのかもしれない。

けど、「人間」を育てられない自分の母親には未だに強烈な怒りを感じる。

人間としては、彼女からは何も学べなかった。

 

ひとつだけ、学んだことがあるとするならば、

彼女のような母親になってはいけない、ということだ。

 

毎年、母の日に宅配便で花を届ける。

去年の母親の言葉

「お母さんでいられるようにがんばる」

が印象的だった。

きっと彼女も、自分が母親であるのか、わからないのだろう。

彼女は世間の理想的な母親という型に自分をはめようとして昔から必死だ。

子供しか、自分のことを母親とは呼んでくれない。

 

けど、おそらく母親というのはそういうものではない。

言っても、理解してもらえる自信がないけれど。

親というのは親でなければならない。未来を託すのであれば、指針を示さなければならない。彼女には、それは出来ない。

 

ちなみに彼女は、恋人としても、妻としても、父親からクレームを受けている。

ちょっと心配にはなるね。

がんばってるんだけどね。

浅ましさとは

男女の浅ましさの差について語る。

 

男は、女性の「ものをおねだりする姿」を浅ましいと感じるらしい。そうして欲しいと思っている時ですらだ。

おそらく、おごることで彼女に好きになってもらえると思っているんだと思う。が、実情はそうではない。

女のために金を使ってしまうと、女は、金を使ってくれる人、という風に認識してしまう。気をひくために無駄にたくさんおごらないことだ。

 

女は、男の性欲を浅ましいと感じる。

人間の男性は昼夜問わず性欲を発揮する生き物だ。

しかし、それが理由で女のことを好きだと男が思っていても、女性にとってはとにかく浅ましい欲なのである。

女にとって性欲と愛情は別のものであるが、男性はやや混同している。

我慢して欲しいというのではない。あまりにも露骨だと引くということだ。

特に、服装やメイクで一喜一憂されると、この人は私の何を好きなのか?と疑念を抱いてしまう。

 

男性はおそらく、彼女がコンタクトを外して眼鏡にしても、

水着でも、裸でも、フリースを着込んで体型がわからなくても、すっぴんでも、フルメイクでも、好きかどうか確認した方がいい。

 

毎回好きの程度が違うようであれば、別れた方が良いかもしれない。

 

マスターベーションに夢中なディレクターについて

最近でもないけど、うすうす気づいていたこと。

 

ビジュアルデザインにこだわるディレクターは、総じてマスターベーションが大好きだ。

これは男女関係ない。

 

マスターベーションが好きなディレクターの特徴は大体わかりやすいので挙げておく。

・クライアントの要望は無視して、自分が納得いく気持ちイイものをつくりたい

・デザイン用語はほぼ、知らない

・パソコンにも疎いことが多い

・ただ、原始的な直感のみでデザインのクオリティを追求している。気持ちイイポイントは本人しかわからず、他人に伝えることは出来ない。

・概ね工数を無視する。どんなに時間がかかっても、気持ちイイものをつくりたがる。(イかないと納得しないので)

・気持ちよくないデザインを提出されると、やたらめくじらを立てて怒る。「私をイカせてくれないデザイナーとかそれデザイナーじゃない」的なことをまくしたてる。

 

この手のタイプは3人くらい出会ったことがある。

3人目は、8案出して納得いかなかった時点で打ち切りにさせていただき、私は案件から抜けた。フリーランスだとこれが出来るから有難いのだが(そのために選んだ道と言っても過言ではない)。それにしても、最初のオーダーからどんどん道をずれて、

「これじゃ俺はヌケないんだ」が主旨になってしまい、他のデザイナーを入れてもらったけど、それでもやはり、クライアント側を無視しているので、

 

デザイン案は決まらなかったらしい。

 

※私はもう抜けたので知りませんが。

 

ビジュアルデザインの目的とはなんだろうか?

そんなことを、この「気持ちよくなりたい」人たちに説いても仕方ないのだ。

彼等はフォントの名前すら知らない。「この明朝体は気持ちよくない」としか言えないのだ。色の名前も覚えられない。とにかく、昔何かで気持ちよくなったあの快感が忘れられないのだ。きっと、気持ちよくしてくれる恋人が現れたら没頭してしまうタイプだろう。

 

そろそろまとめに入るけど、ビジュアルデザインの目的に、「気持ちよくなる」ことを掲げるのは間違いではないんです。

でも、ビジュアルは、ツールでしかありえない。

読むのはキャッチコピーだ。連動してないと意味がない。ビジュアルはキャッチを引き立てるための一種の要素、印象でしかない。キャッチがアホだとなんのページかわからない。

昔、ビジュアルだけはピカ一のデザイナーさんがいたんだけど、ディレクターがアホすぎて、何のページだかさっぱりわからない上、どこでコンバージョンするのかもわかりにくく、しかもコンバージョンが発生するボタンの文言も酷かった。ビジュアルを見る人が多いのでPVは発生するけどCVはボロボロ。ご存じだと思うが、PVなんて今どきまさにマスターベーションの数値である。

とにかく、自分さえ気持ちよくなれればいいので、主観まっしぐら。

デザイナーはツールなので、ディレクターが満足すれば金がもらえる。

 

でもそれで本当にいいんですか?

 

仕事ってなんでしょうか?

 

気持ちよくなることじゃないですよね。

 

会社に利益をもたらすことです。

 

利益はどこから発生しますか?

 

クライアントから、お金貰うんですよね。

 

じゃあ、クライアントを気持ちよくさせたほうがいいんじゃないですか?

 

 

以上がまとめなんですが、本能のまま気持ちよくなることばっかり考えてる連中に言っても仕方ないので、この文章は彼らには投げたりしません。

勝手に自滅してください。ずっとマスターベーションしてればいいと思います。できればひとりでやってね。

 

【おまけ】

たまに「俺の素晴らしいマスターベーションが世の中に通用しないなんて、世の中はなかなか俺についてこないなあ。時代を先取りしすぎちゃったぜ」みたいな自己愛甚だしいことを言ってる人もいますが

それはクライアントワークでやらないでください。

自分のWEBサービスとかでやってください。

例えあなたがどんな天才でも、クライアントワークでやらないで。